2012年12月06日

柳川麻衣『ロータス』感想

「致死量のくちづけで お別れを」
another cell "Blazing darkness"

柳川麻衣『ロータス』。
幼稚舎から大学までの一貫教育を誇る女子学院を舞台にした連作だ。

少女達の、友情以上恋愛未満の関係。
少女であることの、女であることの、痛み。
弱さ、脆さ、儚さ、危うさ。
「世間の常識」から外れるが故の、思春期特有の、そうした痛みが描かれるが故に、切ない。

ある時は演劇部での親密な関係、ある時は一緒にシスターを目指す二人の少女、ある時は下着によって武装する女性、ある時は男装の麗人とロリータ女装男子……。

それぞれが痛みを抱え、もがいている。

「そういうことをずっと続けてるのって、やっぱりどこかおかしいのかな。大人になれないっていうか。でもねあたし、ずっと思ってたんだけど、大人になりたくてもなれないからこそ、こういう服を着てるんであって」
『ロータス』285ページ

バタイユによれば、ボードレールは「一方では、彼の覚書(ノート)は仕事への決意にみちている。ところが一方、彼の生涯は、生産活動への長期にわたる拒否でしかなかった。」(ジョルジュ・バタイユ『文学と悪』)
「すなわちありのままの事実として、彼(ボードレール)のなかで優位を占めていたものは、仕事することへの拒否で」あった。
バタイユはウィリアム・ブレイクに関してこうも言っている。「詩人とは、この世では、永遠にひとり立ちできない mineur ものなのだろう。」
また、「カフカは、世の真正な作家たちの例に漏れず、これ(目的の優位性)とはきびしく対立する現在の優位性を固持しながら、子供らしく生きようとする人間だった。」
「彼(カフカ)は、単純に、工業化され商業化されて、もっぱら利害に明け暮れている行動性の世界のなかで、鼻もちのならない人間となるようにと心がけたのである。つまり、彼は、夢想という小児性のなかにとどまることを欲したのだ。」

大人になるということ。成長するということ。行動の中で、未来の中で、打算の中で、計略の中で生きるということ。
少女たちは、大人になることを拒絶し、「子ども」のままでいようとする。

物語は時代を刻々と変え、少女達の物語を紡いでゆく。
その中である時は核となり、ある時は影となり、彼女達を見守るのが蓮実――女性ではあるが、どこか中性的な、無性的な、全てに対して無関心に見える女性――だ。

最終章『ロータスU』ではそんな達観したような蓮実が持つ、弱さや痛みが描かれる。
ずっと、待っていた。
君が来るのを、ずっと待っていた。
それは、性差や年齢や服装に関係のない、絆の物語。

作品名:ロータス LOTUS
著者:柳川麻衣
発行日:2012年11月18日
サークル名:痛覚
http://words-in-pain.hacca.jp/pain/
posted by 桜井夕也 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学フリマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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